菊竹先生を偲んで



私は建築設計の実務の醍醐味を、故内井昭蔵先生の事務所で教わった。私が在籍し始めた1985年当時内井事務所は超多忙な事務所で、世田谷美術館をコンペで取り、その他にもさまざまな設計が目白押しで、自分もその波の中で夢中になり仕事に没頭した。

内井先生は菊竹事務所に10年在籍し副所長まで務めており、内井事務所の中には菊竹事務所の影響がさまざまな形で現れていた。

まず手近な所では、図面のタイトル印がそっくり。また図面の描き方も、濃い線ではじめから確定的に描くのではなく、あくまでデッサンをするように薄い線から書き始め、徐々に決まったものから濃い線で書いてゆく方法も受け継がれたものであった。これは常に図面は生き物のように変化させ、時間の許す限り理想形を追い続けるという設計の基本姿勢が現れているもので、当然変更も多い。いつだったか締切直前の変更に堪え兼ねてその事を所内で言うと、諸先輩に「これは菊竹事務所から続くやり方で、本家に比べればまだまし」とたしなめられた。なるほどそんなものかと思ったが、ものつくりに邁進する時の妥協をしない姿勢と、ここ一番のエネルギーの集中のさせかたはこの時に教わったように思う。

コンペで数日家に帰れなかった時に、内井先生御本人から菊竹事務所で京都国際会議場のコンペをした時は一ヶ月帰宅できなかった話を聞き、上には上がいるものだと自らを慰めた覚えがある。

菊竹事務所は、姿は直接見えなくても、常にその存在を意識する自分にとって影のようなものであり、同時に遠い目標にもなっていた。

先日、遠藤勝勧氏をお招きして講演を拝聴し、その中で菊竹事務所時代の図面を見せていただく機会があった。その図面は、自分にとって内井事務所にいた時代の懐かしさを思い起こさせると同時に、そこから発散される菊竹先生のパッションを感じた時、改めて自分の中にそのDNAが受け継がれていることを実感した。

菊竹先生のご冥福を心よりお祈りいたします。


建築知識 2012年3月号
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