階段詳細が書ければ一人前
「階段」と「水回り」を見ると、その設計者の腕が分かる、と以前に聞いたことがある。
考えてみれば、建築の設計図をつくる時に、「階段詳細図」と「水回り詳細図」は欠かせない。他の部分は、なんとか以前に使ったディテールを焼き直す等して
ごまかせても、この部分は建築毎にその様相が違い、いわば「単品生産」なのである。詳細図を書かずして工事に突入してしまうと、施工者から「このままでは
どう造って良いのかわかりません」等と言われて、結局書くはめになるのが目に見えている。それだけ大事なのである。また、この部分は、単品生産であるが故
に、その時々の設計者の考えている事がエッセンスとして出ざるを得ないのである。つまりこれを見れば腕が分かると言うことである。特に階段は難しい。単に上階と下階をつなぐ「段の付いた廊下」に過ぎないのであるが、これがなかなかうまく納まらない。手摺に変てこな段差がついてし
まったり、段の幅と高さの関係がうまく行かなかったり、挙げ句の果てには、出来上がったものが「落下しそうであぶない」等と言われてしまったりする。また、階段は実は「段のついた廊下」にとどまらず、往々にしてそれは「精神を高揚させる装置」としての役割を担わされているのである。古今東西の名建築
を見れば、階段はその建築の象徴的な「ヘソ」空間となっている事が多い。銀幕の世界の中では、ヒーローとヒロインは、階段を舞台にしてクライマックスシー
ンを迎えるのである。つまり、階段は「安全に昇降する」という「用」と、「精神を高揚させる」という「美」を兼ね備えたものでなくてはならないということである。もちろん、建
築そのものが「用」と「美」を兼ね備えたものであってほしいのは言うまでもないが、階段はその中でも最たるものなのである。だから難しい。設計する時にも
練りに練って、様々な図面を書き、原寸図を書き、時には模型を造り、まさに試行錯誤の果てに形か決まってくる。うまく行ったときの形は、プリミティブなシ
ンプルなものに不思議と帰着するのである。様々な階段を上り下りする時に、自分はそこから発せられるメッセージを読み取ろうとする。天に近付いてゆく神々しさ、地中に入ってゆくやや不安の混じった期待感、そんな言葉が階段からは聞こえてくる。
だから階段詳細図が書ければ一人前なのである。
階段ニューハウス出版