あるがままを表現するということ
中庭を持つ住宅を最近何軒か設計する機会があった.今回取り上げられたそのうちの2軒は,それぞれの建物が中庭を持つという共通点はありながらも,ある意味でかなり対照的な性格を持っている住宅である.
ひとつは地方都市の400坪という日本ではかなり広大な部類に属する敷地に建つ木造住宅である.敷地に対して分散的に建物を配置し,それにより生まれた外 部空間と内部空間を有機的に連続させて行く手法を取った.ここでは,建物は基本的には外部に向かって開いている.中庭もこの外部空間のひとつのエレメント であり,同時に建物の中心に据え,高木を象徴的に植えることで,家に対しての住人の帰属意識を高める上でのひとつのシンボルスペースとしてデザインされて いる.もうひとつは,東京都心の標準的な広さを持つ敷地に建つRC造住宅である.敷地は路地状敷地のため,前面道路からこの住宅の全容を伺い知れることは困難で ある.当然敷地は周囲を近隣の建物で囲まれているため,この住宅は,ある程度の外部に対してのプロテクトが必要とされている.外部との連続性を持たせてい るのは南面のみとなっており,基本的には外部に対して閉じた家である.ここでは,中庭は,居室を外面化,南面化させるためのひとつの装置としての役割を 担っており,また,同時に前述した建物同様樹木を配置して,家のシンボルスペースとしての機能も持たせている.
この,構造も立地も仕上も全くタイプの異なる住宅において,最も気にかけた点は,「素材をあるがままに使用する」言い換えれば素材の「生成感(きなりかん)」を表現するという点である.
もともと,もっとも素直な物作りの方法であるはずの「ものをそのまま自然の状態で使用する」という方法は,近年では困難さが伴う.製品の規格化,工業製品 化は経済効率性の向上や,未熟な施工技術をもってしても物ができてしまう簡便性に寄与した部分は大きいが,出来上がったものの「均質化」を生み出し,建 築,ひいては環境という点では決して豊かとは言えない景観と街並みを作り出すひとつの大きなファクターとなっている.素材をあるがままに使用するというこ とが,現在では普通の事でなくなりつつあり,ある意味においては経済的によほどゆとりのある計画でなければ実現しにくい事となっている面があることは否定 しにくい.
今回の住宅は,使用されている材質自体は必ずしも高価な物を使用しているわけではない.ただ,「素材をあるがままに使用する」事にはこだわりを持ち設計した.
ラワンであっても,モルタルであってもよいと思う.ラワンはラワンらしく,モルタルはモルタルらしく,土は土らしく,鉄板は鉄板らしく,コンクリートはコ ンクリートらしく使用する,つまりその素材を「生成(きなり)の状態で使用する」ということは,出来上がった建物の品格につながると考える.
人間の目は張ってある物の厚みが表面からも読みとる力を持っている.まして,身体に触れる部分の材質が本物であるかどうかは本能的に判断できるものではな いだろうか.建築に品格を持たせることができるかどうかのひとつのポイントは,材質,もっと言えば空間に嘘がないことであると思う.
中庭空間を住宅の設計に取り入れた場合,機能的には建築の外面性を高め,空間に奥行き感を与える事ができる.また,精神的な面では,中庭を家の中心に据え て動線を回遊させることで,その家のシンボルスペースとなりうるものだと思う.ただ,その空間が構成される素材の選択は,中庭空間に生命を吹き込めるかど うかの重要なポイントではないだろうか.
もちろん,素材以外にも,プロポーション,ディテール等建築の構成要素として強く意識すべき事象はあると思う.それらをが相まってひとつのハーモニーが奏 でられたときに,物が以前からそこに存在していたかのような,本当の意味での「あるがままの建築」が表現されるのだと思う.
住宅建築97.9月号